異常な献身愛!離婚を繰り返した吉田拓郎が妻・森下愛子と離婚しなかった理由

画像引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/0afff1053488621d620d8dc1dc9520ae75c91f43

過去に2度の離婚歴がある吉田拓郎ですが、現在の森下愛子とは長きにわたり夫婦生活を続けています。

吉田拓郎と妻・森下愛子は何故離婚しないのでしょうか?

また、吉田拓郎の元妻の人物像や離婚理由も気になるところです。

そこで今回は、吉田拓郎と現在の妻・森下愛子が離婚しない理由や、元妻との離婚理由について詳しくお話しします。

この記事で分かる事
・森下愛子と吉田拓郎が離婚しない理由
・吉田拓郎の元妻の人物像や離婚理由

吉田拓郎と森下愛子が夫婦として続いている理由

✅1986年に森下愛子と結婚し、2022年現在も夫婦として生活を続けている吉田拓郎。吉田拓郎は過去には2度も離婚していますが、森下愛子とはなぜ離婚しないのでしょうか?

ここでは、吉田拓郎と森下愛子が離婚しない理由について詳しくお話しします。

吉田拓郎の闘病生活とうつ状態

✅森下愛子と吉田拓郎が離婚しない理由として、吉田拓郎の闘病生活を森下愛子が支え続けてきたという事実が挙げられます。

吉田拓郎は2003年4月に、肺ガンを患っていることが発覚しました。

肺がんを患った吉田拓郎は、肺を3分の1切除し、更年期障害やストレスからうつ状態になってしまい、心身ともに疲弊してしまいます。

この時森下愛子は吉田拓郎のことを献身的に支え続けてきました。

森下愛子がここまで吉田拓郎を支える理由として、森下愛子自身がメンタル疾患だったときに吉田拓郎が傍で支え続けてきたという事実があります。

自身が憔悴しきっているときにずっと支えてくれた旦那に対して、森下愛子は恩返しのような気持ちで献身的に面倒をみてきたのかもしれません。

お互いを思いやる気持ちがあることが、森下愛子と吉田拓郎が夫婦生活を続けられる秘訣なのでしょう。

森下愛子のメンタル疾患

✅また、森下愛子の情緒の不安定さやメンタル疾患だった事実も、吉田拓郎と森下愛子が夫婦生活を続けていく秘訣といえます。

吉田拓郎の妻・森下愛子は感情をストレートに表すタイプで、吉田拓郎と結婚してからも喧嘩が絶えずしょっちゅう吉田拓郎に当たり散らしていたそうです。

特に料理を上手く作れないと、機嫌が悪くなって怒りだしてしまうとのこと。

過去に加藤和彦が吉田拓郎の家に遊びに来て、森下愛子が鶏肉を焼いたのですが、うまく火が通っていなかったことがありました。

すると森下愛子は途端にふくれて、機嫌が悪くなってしまったそうです。

こうした気性の荒さの影響で森下愛子は精神的にバランスを崩し、胃の調子が悪くなりうつ状態になってしまいました。

そんなときでも吉田拓郎は森下愛子を見捨てず、傍て寄り添ってきました。

吉田拓郎は、気性が荒く精神的に病んでしまった森下愛子も、妻として1人の人間として、まるっと受け止めていたため、離婚せず夫婦生活を続けることができたようです。

挫折感

✅また、吉田拓郎が過去に2度の離婚歴があり、これも夫婦円満の秘訣に影響しているようです。

吉田拓郎は、過去に2度離婚を繰り返し挫折を味わってきました。

2度も離婚を経験した吉田拓郎は、離婚に対して「無いに越したことは無い」「がんの手術よりも、離婚は挫折」と語っています。

離婚をするという事実に対して、よほど後悔や反省点、挫折感を感じているようです。

そのため、吉田拓郎は何度森下愛子と衝突を繰り返しても「離婚だけはしない」という思いで夫婦生活を破綻させないよう努力してきたのです。

離婚によって挫折感を味わったことこそが、森下愛子と夫婦生活を長年に渡り続けられる理由なのかもしれません。

森下愛子の人物像

✅ここからは、吉田拓郎の妻・森下愛子の人物像や馴れ初めについてお話しします。

以下が森下愛子のプロフィールです。

名前:森下愛子(もりした あいこ)

生年月日:1958年4月8日

出身地:東京都武蔵野区

森下愛子は、高校在学中にスカウトされモデルとしてデビュー。

その後CMタレントとして活動し、1977年に映画『地獄の天使 紅い爆音』で女優デビューも果たしています。

1988年から活動を芸能休止していましたが、1999年に『美しい人』で復帰し、2000年以降は宮藤官九郎脚本作品に精力的に出演。

森下愛子の顔画像はこちらです。

画像引用元:https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0009071185_00000

整った顔立ちをしていますね。

吉田拓郎と森下愛子との間に子供はいないようです。

馴れ初め~結婚

✅では、森下愛子と吉田拓郎はどのようにして出会ったのでしょうか?

お二人の出会いは1981年のことでした。

森下愛子は、吉田拓郎のラジオ番組にゲストとして出演

当時吉田拓郎は元妻・浅田美代子と婚姻関係にありました。

その後吉田拓郎に森下愛子と飲んでいる中村雅俊から電話があり、その場に森下愛子がいることを知った吉田拓郎は森下愛子と中村雅俊と3人で朝3時まで飲み、森下愛子と親しい間柄に。

そこから吉田拓郎と森下愛子の不倫関係がスタートし、週刊誌にスクープされます。

1983年に吉田拓郎と浅田美代子は離婚し、1986年に吉田拓郎は森下愛子と3年間の交際期間を経て結婚しています。

もともとは不倫関係で、略奪愛だったようです。

1度目の結婚&離婚

✅また、吉田拓郎には2度の結婚歴・離婚歴があります。

吉田拓郎の1度目の結婚は、1972年のことで、相手は四角佳子という女性でした。

1人目の元妻の人物像や結婚・離婚に至るまでのエピソードをご紹介します。

四角佳子の人物像

✅吉田拓郎の元妻・四角佳子の人物像についてお話しします。

以下が、四角佳子のプロフィールです。

名前:四角佳子(よすみ けいこ)

生年月日:1952年3月4日

出身地:大阪府岸和田市

四角佳子は、1968年に日本テレビ『レ・ガールズ』で志麻ゆきの名義でデビューを果たした歌手です。

デビュー番組が終わってしまい当時は人気を得ることができなかったのですが、その後1971年に六文銭メンバーとして愛知県の岡崎で再デビューを果たします。

四角佳子は、六文銭で小室等や及川恒平とともにメインボーカルを担当。

その後吉田拓郎との結婚を機に芸能界を引退していましたが、2000年に及川恒平のライブに観客として参加し、ゲストに呼ばれていた小室等と共に28年ぶりにステージに立ったことで歌手活動を再開しています。

それ以降3人で歌うユニット『まるで六文銭のように』としてライブを中心に精力的に活動するようになりました。

四角佳子の顔画像はこちらです。

画像引用元:http://akogi-rensyutyo.dreamlog.jp/archives/9418043.html

綺麗な女性ですね。

馴れ初め~離婚

✅続いて、四角佳子と吉田拓郎の馴れ初めから離婚までの経緯をお話しします。

吉田拓郎と四角佳子は、1970年頃吉田拓郎が結成したアマチュアフォークソングサークル『広島フォーク村』がきっかけで出会います。

その後酔っぱらった吉田拓郎がケンカで負傷したときに四角佳子が介抱したことがきっかけで、交際に発展。

四角佳子と吉田拓郎は1972年に結婚していますが、結婚直後から些細なことで喧嘩するようになり、結婚からわずか3年後の1975年には離婚しています。

離婚前年の1974年には第一子である女の子の彩さんが誕生しており、子供が出来たことで夫婦生活は持ち直せたかと思ったのですが、吉田拓郎は当時のインタビューで以下のように答えています。

「俺の性分では子供中心ではおもしろくない」

「俺には俺の世界があってこのままでは味気ない」

なんとも自由奔放な発言ですが、吉田拓郎は四角佳子との正式な離婚前に、すでに2人目の元妻・浅田美代子を口説いていたそうです。

音楽を通して出会い結婚に至った二人ですが、喧嘩が絶えなかったことで結婚直後から夫婦生活は破綻していたようです。

2度目の結婚&離婚

✅吉田拓郎は、離婚から2年後の1977年に浅田美代子と結婚しています。

2度目の結婚生活はどのようなものだったのでしょうか?

吉田拓郎の元妻・浅田美代子の人物像や馴れ初めから離婚に至るまでをお話しします。

浅田美代子の人物像

✅まずは、2人目の元妻・浅田美代子の人物像をご紹介します。

浅田美代子のプロフィールは以下の通りです。

名前:浅田美代子(あさだ みよこ)

生年月日:1956年2月15日

出身地:東京都港区

浅田美代子は1973年2月14日に『時間ですよ』で女優デビューを果たし、人気女優・タレントの地位を築きました。

また『時間ですよ』劇中歌の『赤い風船』でデビューを果たし、1973年第15回日本レコード大賞で新人賞を受賞するなどアイドル歌手としても功績を残しています。

その後も女優として様々な作品に出演していますが、吉田拓郎と結婚した1977年に主婦業に専念するため一度芸能活動を休止しています。

離婚後は芸能活動を再開させ、『さんまのSUPERからくりTV』で天然キャラを炸裂させ、お茶の間の人気者となりました。

元妻・浅田美代子の顔画像はこちらです。

画像引用元:https://post.tv-asahi.co.jp/post-164560/

とても美人な女性であることが分かりますね。

吉田拓郎と浅田美代子の間には子供はいません。

馴れ初め~離婚

✅では、吉田拓郎と浅田美代子の馴れ初めはどんなものだったのでしょうか?

吉田拓郎と浅田美代子の出会いは、1974年のことでした。

当時吉田拓郎は自身のラジオ番組に浅田美代子をゲスト出演させ知り合い、その後電話番号を交換したそうです。

数か月後の誕生日に吉田拓郎から電話があり、「みんなで祝いたいから店に来なよ」と飲みに誘われて店に行くと、吉田拓郎しかおらず、口説かれてしまったようです。

吉田拓郎は当時1人目の元妻・四角佳子とまだ婚姻関係にあったため、浅田美代子とも不倫関係で交際をスタートさせました。

その後1977年に浅田美代子と吉田拓郎は結婚しますが、結婚生活は1年ほどで破綻してしまったようです。

吉田拓郎は当時を振り返って「最初の1年は楽しかったけど、2年目からは頭がおかしくなりそう」と語っていました。

どうやらさすがの吉田拓郎も、浅田美代子の天然キャラぶりについていけなかったそうです。

その後離婚せず済む方法を夫婦で話し合ったようですが、吉田拓郎は既に森下愛子と不倫関係にあり、それが原因で1983年に浅田美代子と離婚。

世間の声

✅では、吉田拓郎の妻・森下愛子に対して世間の皆さんはどう思っているのでしょうか?

Twitterでは以下のような意見が見うけられました。



森下愛子と吉田拓郎が結婚したことについて、多くの人が認知しており肯定的な意見が多かったです。

略奪愛だったとはいえ、30年以上夫婦生活を続けているということは森下愛子と吉田拓郎は相性はとてもいいのでしょうね。

今後も末永く添い遂げてほしいです。

まとめ

今回は、吉田拓郎と妻・森下愛子についてお話ししました。

要点をまとめます。

・吉田拓郎の妻は女優の森下愛子
・二人が離婚しない理由は、お互いピンチのときに寄り添ってきた事実と吉田拓郎が2度の離婚対して挫折感を味わってきたから
・吉田拓郎の元妻1人目は四角佳子、2人目は浅田美代子

女好きとして知られる吉田拓郎ですが、3度目の結婚相手となった森下愛子とはなんだかんだで上手くいっているようです。

順風満帆とはいかないものの、お互いのピンチを支え合ってきた絆は本物といえるでしょう。

今後も吉田拓郎と妻・森下愛子を温かく見守りたいですね。

Multi
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